19 12月

究極的な〈寄り添い方〉に対する〈個〉の一考

〈個〉の私は、精神界において、隣人に対する〈寄り添い方〉を何度も何度も〈変則的方法論〉で乗りこえてきた17年間であったと想起する。その途上で、己と隣人に対する〈寄り添い方〉が、何ゆえに、〈変則的方法論〉となったのかと哲学すると以下の内容となる。それは、〈個々〉の〈ありのままの姿〉が〈千差万別〉であり、決して、一律の枠になかったからだ。これが、当たり前のようで当たり前じゃないのが精神界。故に、〈寄り添い方〉が、〈変則的方法論〉でしか向き合う術がない〈個〉の限界を悟ることになる。時として、両者の〈ありのままの姿〉でとどまらず、両者に“みぞ”ができる可能性が多大にあった。それを避けるために、両者の〈存在〉と〈存在〉、更には、両者の心と心の隙間にながれる〈沈黙的精神力〉が、更なる、〈変則的方法論〉へと発展的変化をとげることが〈個〉に求められた。〈沈黙的精神力〉に包まれた〈精神的忍耐力〉が〈普遍的愛〉によって培われる一年となった〈個〉の私。